イギリス刑事法紹介⑰~(自発的)故殺罪~
イギリス法では、故意の犯罪行為により人を死亡させたにもかかわらず、殺人罪が成立しない場合として、故殺罪(manslaughter)という犯罪類型が存在します。「故殺」という訳語は、現在の日本法には存在しない概念ですが、イギリス法では、以下に説明するとおり、殺人罪の要件を満たすにもかかわらず一定の抗弁(defense)が認められる場合に、故殺罪が成立します。
なお、「故殺」という訳語の対比として、殺人罪(murder)には「謀殺」という訳語が当てられることがあります。一般的な解説として、「謀殺」(murder)は、事前の計画等が必要とされていることがありますが、イギリス法では、殺人罪の成立に事前の計画等が必ずしも求められているわけではなく、こうした解説は不正確です。
また、故殺罪には、非自発的故殺(involuntary manslaughter)という類型も存在しますが、こちらは日本法上の傷害致死に近い概念です。
殺人罪の要件を満たす場合に、故殺罪の成立に留まる類型として、以下の3つが存在します。
1つめは、「自己制御の喪失」(loss of self control)という類型であり、成文法によりその要件が定められています。簡潔にいえば、被害者からの暴力への恐怖等、法律上定められた一定の自由により自己の制御を失って殺害に及んだ場合に、この抗弁が成立し、殺人罪の成立が避けられることになります。
2つめは、「軽減された責任」(diminished responsibility)という類型で、精神疾患により判断能力に問題がある場合に適用され得る抗弁です。具体的な要件は、こちらも成文法により定められており、医学的な診断、被告人の能力の重大な毀損、殺害への重要な寄与が要件となっています。なお、イギリス法では、心神喪失(insanity)は一般的な抗弁として存在しますが、日本法上の心神耗弱に該当する法概念はありません。そのため、殺人罪の事件においてのみ、心神喪失に至らない精神疾患が、「軽減された責任」の抗弁において問題となることになります。
3つめは、自殺幇助(suicide pacts)であり、こちらも成文法により、殺人罪に対する抗弁として定められています。
量刑上、終身刑以外の選択肢が存在しない殺人罪と異なり、故殺罪の場合には、量刑は裁判官の広い裁量に任されることになります。
※本稿におけるイギリス法の説明は、イングランド及びウエールズ圏内において適用される法規制に関するものです。
弁護士/英国弁護士 中井淳一
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★千葉市の弁護士事務所『法律事務所シリウス』より★