覚醒剤密輸事案と精神鑑定等(その3)
令和5年1月
弁護士 菅 野 亮
1 覚醒剤密輸事件の故意の内容
覚醒剤密輸事案と精神鑑定(その1)及び(その2)で、覚醒剤密輸事案で、精神鑑定の結果等が故意や営利目的の認定に影響を与えたと思われる裁判例を紹介しました(東京高裁令和3年3月17日判決及び東京高裁平成28年1月13日判決)。
今回も、覚醒剤密輸事件の故意の認定に精神鑑定の結果が影響したと思われる事案(千葉地裁平成30年11月1日判決、以下「千葉地裁平成30年判決」といいます。)を紹介します。
2 千葉地裁平成30年判決の概要
本事案は、いわゆる被告人が運び役として、スーツケース内に覚醒剤を隠匿して日本に輸入しようとして、税関検査で発覚した事案です。
被告人は、裁判で、故意がないことを主張しています。
以下は、判決で整理された被告人の言い分です。
「被告人は,日本への渡航について,Aから,日本で偽の金(きん)が入ったスーツケースを受け取り,オランダに持ち帰ってほしいという依頼を受けたものであり,本件スーツケース内に覚せい剤が入っているとは思わなかった旨を供述している。」
判決では、次のとおり、故意(判決では「知情性」と表現されています)が認められないため、無罪とされました。
「被告人のAに対する違法薬物の密輸組織関係者かもしれないとの疑念は抽象的なものにとどまり,かつ,偽の金を運搬する仕事に対する疑念と対比して相対的に小さかった上,運搬する荷物に関する疑念の対象は,専ら渡航先から持ち帰る荷物に集中していた可能性が否定できないこと,本件スーツケースを受け取るに際しても,自分の物として買ったものであって,何者かに渡すなどの指示を受けることはなかったとの被告人供述を虚偽と断ずることもできないことからすると,被告人が,本件スーツケースを受け取った時点において,その内容物を全く警戒していなかった可能性は排斥できず,知情性を認めるにはなお合理的疑いが残るというべきである。」
上記認定は、被告人の供述その他の証拠に基づき判断されています。
そして、本判決は、上記認定に引き続き、次のような指摘をしています。
「上記結論は,『社会的認知能力に関する検査結果によれば,被告人は,他者の意図を汲めなかったり,文脈を読むことができない傾向があることが示唆される。』というF医師による精神鑑定の結果とも整合的といえる。なお,同医師は,その経歴等に照らし,精神鑑定の鑑定人として十分な資質を備えている上,上記精神鑑定において採用されている諸検査や前提資料の検討も相当なもので,結論を導く過程に不合理な点も見当たらない(F医師は,心理テストにおける通訳上の問題や文化の違いを考慮に入れた上で,上記の鑑定結果を導いている。)から,上記精神鑑定の結果は十分に信用できる。」
この事案では、F医師により精神鑑定が実施され、F医師は、検査結果に基づき「被告人は,他者の意図を汲めなかったり,文脈を読むことができない傾向がある」と判断しています。
判決では、F医師の指摘を踏まえ、そのことが故意(知情性)の認定に影響したと述べています(ただし、F医師の検査結果からうかがえる被告人の傾向と「整合的といえる」という表現では、鑑定結果をどの程度価値あるものと考えていたかは明瞭ではありません。)。
3 裁判例の傾向
千葉地裁平成30年判決のように、金やダイヤだと思っていたという理由で、覚醒剤密輸の故意がないとされ無罪となるケースはありますが(無罪とするのではなく、覚醒剤密輸の成立は否定した上で、無申告あるいは虚偽申告の点で関税法違反が成立するとの判断もあります。)、他方、金かも知れないし、覚醒剤を含む違法薬物かも知れないと思っていたとして、有罪になるケースもあります。
故意の判断は、被告人の供述だけではなく、関係者とのメール・SNSのやり取り、渡航経緯、税関検査時の被告人の言動等、様々な証拠を総合的に検討して決まるものであり、精神鑑定が決定的な意味を持つ事案はかなり少ないと思います。
しかし、精神鑑定によって得られる被告人の障害やその特性等を踏まえて、被告人の行動、供述を理解するほうがより真実に近づけるはずであり、弁護人として、そのような主張・立証も軽んじてはいけないと考えられます。
以上
★千葉市の弁護士事務所『法律事務所シリウス』より★