覚醒剤密輸事案と精神鑑定等(その1)
令和5年1月
弁護士 菅 野 亮
1 覚醒剤密輸事件の構成要件
覚醒剤を海外から密輸した場合、通常は、覚醒剤の営利目的輸入罪(覚醒剤取締法違反)と輸入禁制品を持ち込むことで成立する関税法違反が問題となります。
典型的なのは、自ら、スーツケース等に隠匿した覚醒剤を持ち込む、持込型の事件です(持ち込む人は、「運び屋」、「運び役」、「運搬役」などと呼ばれることもあります。)。このような持込型の事案は、税関検査等で隠匿された覚醒剤が発見され、そのまま逮捕されます。
他方、持込型ではなく、覚醒剤を海外から郵送する場合もあります。そのような郵送型の事件は、コントロールドデリバリーという捜査が行われ、郵便を受け取る者が荷物を受け取った時点で逮捕されることが多いです。
持込型の事案で、知人等から、「ギフト」等と言われ、覚醒剤だと知らずに、運んでしまった場合、覚醒剤を輸入したことの認識がありませんので、覚醒剤輸入罪の故意がなく、無罪となります(実際、本当に欺されて運び役に仕立てられてしまう人は多く、成田空港で逮捕された後、故意等の立証が困難だということで不起訴となる事件も少なくありません。)。
覚醒剤密輸に関しても、一般の犯罪と同様、故意が必要ですが、故意の内容については最高裁の判断があります(最高裁平成2年2月9日判タ722号234頁)。
「覚せい剤を含む身体に有害で違法な薬物類であるとの認識があったというのであるから、覚せい剤かもしれないし、その他の身体に有害で違法な薬物かもしれないとの認識はあったことに帰することになる。そうすると、覚せい剤輸入罪、同所持罪の故意に欠けるところはない。」
この最高裁の判断を前提とする限り、覚醒剤に関して確定的な認識がなくても、故意が認められることになります。
また、営利目的の輸入罪であれば、故意以外の要素として、営利目的を有することも必要となります。
多くの裁判例では、密輸の故意があれば、営利目的もあると推認され、双方の要件が認められています。
しかし、故意と営利目的は内容の異なる主観的要素ですから、今回紹介する東京高裁令和3年3月17日判決(以下「令和3年東京高裁判決」といいます。判例時報2508号118頁)のように、故意は認定できるが、営利目的は認められない、と判断されることもあります。
営利目的がなければ、営利目的輸入罪は成立せず、法定刑が軽い、営利目的のない輸入罪しか成立しませんので、その点は、被告人にも重要な論点です。
なお、この事件では、精神鑑定が実施され、被告人の精神障害やその特性等が主観的要素に関する事実認定に影響しているので、その点にも注目されます。
2 故意の認定
令和3年東京高裁判決では、自白が信用できるとして故意を認定しました。
本事案は、受取型の事件で、Aから荷物の受け取りを依頼されたのが被告人です。
被告人の捜査段階における自白は次のような内容でした。
「Aから、被告人のところにエアメールが届くから、サインして受け取っておいてよ、東南アジアからの荷物だよと言われたとき、届く荷物の中身の説明は受けなかったが、覚せい剤などの違法な薬物等が入っているのだろうと思った、そのように思った理由は、その前からAが覚せい剤の密売をしていることを知っていたし、Aが歌舞伎町で違法カジノを経営していてバックに暴力団が付いていることを知っていたからである」
この自白について、被告人は、裁判では、次のように主張し、その信用性を争いました。
「本件自白の内容は真実ではなく、平成30年5月26日に多数の警察官らが本件居室に捜索に入った際に考えたことなのに、Aの依頼を引き受けた際に気付いていたような内容になっているもので、理由として説明した事柄も捜索後に気付いたものであって、捜索と逮捕を受け、何の説明もなくAに利用されていたことに気付き、そのことに対する怒りによって、自分が刑事責任を問われるという意識がないままに供述した」
被告人の上記主張は信用されず、捜査段階における自白の信用性が認められ、故意があると認定されることとなりました。
初期の取調べで過剰な弁解をしてしまったり、記憶違いの弁解をしてしまうことはあるのですが(ニュアンスの異なる供述内容が録取されることもありますが、取調べが録音・録画がされていればこの手の問題は解消することが多いです。)、裁判において、上記のような主張はなかなか受け入れられません。捜査段階においては、黙秘権を行使するか、あるいは供述するにしても、どのような供述をするか慎重に判断し、作成された供述調書に間違いがないかを確認する必要があります。
3 精神鑑定
この事案では、密輸事件では珍しく、精神鑑定が実施されており、その結果は次のように判決で指摘されています。
「原審で被告人の精神鑑定を実施した甲医師は、被告人は不注意、多動性、衝動性等の特徴を有する発達障害、すなわちADHD(注意欠如・多動性障害)であり、境界域知能でもあると診断している。」
判決では、この精神鑑定の結果を踏まえ、次のように述べています。
「実際、原審における被告人質問では、質問と答えがかみ合っていない様子も散見されたので、当審においては、本件記録媒体の関係箇所を再生して示しながら被告人質問を実施し、再生された供述に対する被告人の弁解を聴いて、発達障害等が本件自白に及ぼした影響を慎重に検討した。その結果、確かに、その取調べ状況を見ると、検察官の発問から外れた応答をする場面も散見され、自己に不利益な事柄であっても、饒舌に供述する態度は、短慮軽率な被告人の特性を示すもののようにもみえる。そして、営利の目的に関して後に検討するとおり、被告人の短慮軽率な特性が、覚せい剤等の隠匿されている可能性のある荷物の受取りという、客観的にはリスクのある依頼を簡単に引き受けたことに影響しているように思われる。」
そして、本判決では、自白の信用性は肯定しましたが、営利目的については、次のように指摘して、営利目的があったことを否定しています。
「被告人は、既に判示したとおり、甲医師によって、『不注意、多動性、衝動性のすべての特徴を持つ混合型のADHD(注意欠如・多動性障害)』と診断されており、状況の認識に欠けるところがなくとも、不注意の故に認識した状況から通常人であれば注意を向けるはずの事柄に気付きにくい特性や、衝動性の故に、深く考えずに短絡的に行動しやすい短慮軽率な特性があると鑑定されているところ、その診断の信用性を疑うべき事情はない。したがって、通常人の場合には、Aの依頼を引き受けることのリスクを想起し、財産上の利益が得られることを動機・目的としなければ、それには応じないはずであると考えられる状況であったとしても、被告人の場合には、将来的なリスクを想起することや、Aの密売による利得などに思いを巡らせ、その依頼を引き受けることが本件居室の利用を継続する上で自らの経済的利益につながるなどと考えることもなく、単なる知人のよしみとして、依頼を引き受けてしまったという合理的な疑いは否定できない。」
密輸事件は、通常、ある程度の計画性があり、海外渡航等の一定の行動を行うことが前提となっているためか、精神鑑定が行われたり、責任能力が争われる事案は多くありません。
しかし、被告人に何らかの精神障害がある場合、動機・経緯にも、その精神障害の影響がある場合はあり得ます。
本判決でも、精神科医により、不注意、多動性、衝動性のすべての特徴を持つ混合型のADHD(注意欠如・多動性障害)ゆえに、「通常人であれば注意を向けるはずの事柄に気付きにくい特性や、衝動性の故に、深く考えずに短絡的に行動しやすい短慮軽率な特性がある」と判断され、そのことが、営利目的の判断にも影響を及ぼしています。
4 まとめ
密輸事件では、殺人罪や放火罪と異なり、責任能力に問題が生じやすい重症の統合失調症やうつ病の患者は多くありません。
しかし、運び役に仕立てあげられるケースをみると、恋人(実際は密輸組織の人間)に騙されてしまったり、ありもしない投資話で騙されてしまった人が多く、騙された経緯に知的障害、認知症、騙されやすい特性等が影響している場合が少なくありません。
弁護活動としては、そのような視点も持ち、丁寧に事案をみていく必要があります。
「覚醒剤密輸事案と精神鑑定等(その2)」では、一般人からみたら荒唐無稽な話を信じて運び役にされた被告人の騙されやすい特性が問題となり、無罪となった事例を紹介したいと思います。
以上
★千葉市の弁護士事務所『法律事務所シリウス』より★