受け子が被害者宅を訪問する前に逮捕された事案の特殊詐欺の実行の着手時期について (最高裁平成30年3月22日第1小法廷判決)
弁護士 菅 野 亮
1 典型的な特殊詐欺事件では、かけこが電話により被害者を欺し、受け子が被害者宅を訪問して金員の交付を受けることが多い(近時は、被害者にキャッシュカードを準備させた上で、被害者に気がつかれないうちにキャッシュカードをすり替える事件も増えている。すり替え事案に関する実行の着手時期については、最高裁令和4年2月14日第3小法廷決定がある。)。
2 特殊詐欺事件では、電話で被害者を欺すかけこ、金員を被害者宅に取りに行く受け子などの役割が分業化されており、かけこも受け子も、組織が作成したマニュアル等にしたがって犯罪行為の一部を行っており、その全体像を把握しているのは、組織のごく一部の上位者だけである。
かけこが電話で被害者を欺した後、受け子が被害者宅に行く前に警察に逮捕された場合に、詐欺罪の実行の着手が認められるのか問題となり、最高裁平成30年3月22日第1小法廷判決(以下「最高裁平成30年判決」という。最高裁判所刑事判例集72巻1号82頁)は、この点について、詐欺罪の実行の着手を認めた。
3 最高裁平成30年判決のかけこの虚偽説明と受け子の行動は次のとおりである。
(かけこの電話内容)
警察官を名乗る氏名不詳者からの電話
「昨日,駅の所で,不審な男を捕まえたんですが,その犯人が被害者の名前を言っています。」
「昨日,詐欺の被害に遭っていないですか。」
「口座にはまだどのくらいの金額が残っているんですか。」
「銀行に今すぐ行って全部下ろした方がいいですよ。」
「前日の100万円を取り返すので協力してほしい。」
などと言われ(1回目の電話),同日午後1時1分頃,警察官を名乗る氏名不詳者らからの電話で,
「僕,向かいますから。」
「2時前には到着できるよう僕の方で態勢整えますので。」
などと言われた(2回目の電話)
(受け子の行動)
「被告人は,平成28年6月8日夜,氏名不詳者から,長野市内に行くよう指示を受け,同月9日朝,詐取金の受取役であることを認識した上で長野市内へ移動し,同日午後1時11分頃,氏名不詳者から,被害者宅住所を告げられ,
「お婆ちゃんから金を受け取ってこい。」
「29歳,刑事役って設定で金を取りに行ってくれ。」
などと指示を受け,その指示に従って被害者宅に向かったが,被害者宅に到着する前に警察官から職務質問を受けて逮捕された。」
4 上記の事実関係を前提に、最高裁平成30年判決は、次のとおり判断した(下線は筆者)。
「本件における,上記(1)イ記載の各文言は,警察官を装って被害者に対して直接述べられたものであって,預金を下ろして現金化する必要があるとの嘘(1回目の電話),前日の詐欺の被害金を取り戻すためには被害者が警察に協力する必要があるとの嘘(1回目の電話),これから間もなく警察官が被害者宅を訪問するとの嘘(2回目の電話)を含むものである。上記認定事実によれば,これらの嘘(以下「本件嘘」という。)を述べた行為は,被害者をして,本件嘘が真実であると誤信させることによって,あらかじめ現金を被害者宅に移動させた上で,後に被害者宅を訪問して警察官を装って現金の交付を求める予定であった被告人に対して現金を交付させるための計画の一環として行われたものであり,本件嘘の内容は,その犯行計画上,被害者が現金を交付するか否かを判断する前提となるよう予定された事項に係る重要なものであったと認められる。そして,このように段階を踏んで嘘を重ねながら現金を交付させるための犯行計画の下において述べられた本件嘘には,預金口座から現金を下ろして被害者宅に移動させることを求める趣旨の文言や,間もなく警察官が被害者宅を訪問することを予告する文言といった,被害者に現金の交付を求める行為に直接つながる嘘が含まれており,既に100万円の詐欺被害に遭っていた被害者に対し,本件嘘を真実であると誤信させることは,被害者において,間もなく被害者宅を訪問しようとしていた被告人の求めに応じて即座に現金を交付してしまう危険性を著しく高めるものといえる。このような事実関係の下においては,本件嘘を一連のものとして被害者に対して述べた段階において,被害者に現金の交付を求める文言を述べていないとしても,詐欺罪の実行の着手があったと認められる。」
5 最高裁平成30年判決には、当該判断に著名な刑法学者である山口厚判事が加わっており、補足意見を述べている(下線は筆者)。
山口補足意見は、事案の結論としては、法廷意見と同じではあるが、無限定な未遂罪処罰を避け、処罰範囲を適切かつ明確に画定するという観点から、密接性を判断する必要があると指摘しており、弁護人としても、未遂で起訴された事件を担当する際に、注意すべきポイントだと思われる。
「詐欺の実行行為である「人を欺く行為」が認められるためには,財物等を交付させる目的で,交付の判断の基礎となる重要な事項について欺くことが必要である。詐欺未遂罪はこのような「人を欺く行為」に着手すれば成立し得るが,そうでなければ成立し得ないわけではない。従来の当審判例によれば,犯罪の実行行為自体ではなくとも,実行行為に密接であって,被害を生じさせる客観的な危険性が認められる行為に着手することによっても未遂罪は成立し得るのである(最高裁平成15年(あ)第1625号同16年3月22日第一小法廷決定・刑集58巻3号187頁参照)。したがって,財物の交付を求める行為が行われていないということは,詐欺の実行行為である「人を欺く行為」自体への着手がいまだ認められないとはいえても,詐欺未遂罪が成立しないということを必ずしも意味するものではない。未遂罪の成否において問題となるのは,実行行為に「密接」で「客観的な危険性」が認められる行為への着手が認められるかであり,この判断に当たっては「密接」性と「客観的な危険性」とを,相互に関連させながらも,それらが重畳的に求められている趣旨を踏まえて検討することが必要である。特に重要なのは,無限定な未遂罪処罰を避け,処罰範囲を適切かつ明確に画定するという観点から,上記「密接」性を判断することである。」
以上
★千葉市の弁護士事務所『法律事務所シリウス』より★