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季刊刑事弁護に菅野亮弁護士の論考「密輸事件の審理,事実認定及び争点整理の問題点」が掲載されました(季刊刑事弁護87号)

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 東京高裁で,密輸事件に関して,2件の逆転無罪判決(東京高裁平成28年1月13日判決,東京高裁平成27年12月22日判決)と1件の破棄差戻判決(東京高裁平成28年1月20日判決)がでました。

 逆転無罪判決となった各事件の弁護人から控訴審の審理経過等をうかがう機会がありましたが,新たな証拠や新たな主張が決定的な事情となったわけではなく(もちろん,控訴審において新たな証拠の請求等もされています。),有罪とされた1審の主張を引き続き,より丁寧に行っているという印象を受けました(詳細は,季刊刑事弁護87号の各弁護人のレポートを参照下さい。)。
 密輸事件は,密輸組織の関係者が通常海外にいて,準備も国外においてなされることから,有罪方向に決定的な証拠に乏しい事件類型です(経験上,かなりの率で不起訴となっています。)。そこで,これまで,裁判所は,有罪とするための様々な経験則を適用し,有罪判決を下してきました。

 「違法薬物が隠匿されたスーツケースを持って来た以上,中身も知っていたはず」
 「日本に来るのにガイドブックも持って来ないのはおかしい,密輸目的ではないか」
 「違法薬物は,高価であり,当然に組織は事情を運び役に知らせたはず」
 「そのような依頼はおかしいと疑い,違法薬物だとうすうす気がついたはず」

 確かに,このような経験則は,一般論として,正しい指摘といえる場合もあると思います。東京高裁平成24年4月4日判決が指摘した「回収措置に関する経験則」について,最高裁平成25年10月21日決定もこれを否定していません(ただし,上記裁決でも「原判決が,この種事案に適用されるべき経験則等について『この種の犯罪において,運搬者が,誰からも何らの委託も受けていないとか,受託物の回収方法について何らの指示も依頼も受けていないということは,現実にはあり得ない』などと説示している点は,例外を認める余地がないという趣旨であるとすれば,経験則等の理解として適切なものとはいえない」としている点を重視すべきです。)。

 しかし,事件ごとに異なる運び役が持ってきた経緯等を一切捨象し,こうした経験則を全面的に押し出して事実認定することは,一つ一つの事件の個性や証拠をみずに判断する危険性を生むものです。安易に「経験則」に頼った事実認定を行うべきではありません。
 本稿でも指摘しましたが,東京高裁平成28年1月13日判決は,一審の裁判所を「証拠もみずに事実認定している」とか「立証責任を被告人に負わせた疑いすらある」と指摘し,そのような事実認定手法について厳しく戒めています。

 本当に密輸組織に騙されて,違法薬物だと知らないままに運び役となった人もいますし,私たちと違う文化的背景に暮らす方々の行動パターンを,裁判官的な常識で判断することは,えん罪を生むリスクを高めることもあります。
 私自身,バックパッカーをしていた時代,ガイドブックを持たずに,中国・チベット・ネパール・パキスタン・インド等に出かけ,日々の目的地を適当に選び,安宿探しをしていました(時にはインドの駅前で牛や人混みに混ざって野宿することもありました。)。「ガイドブックも持たず,明日泊まるホテルの予約もしないとおかしい」などという判決の指摘を聞くたびに,だから密輸したってことにならないだろうと感じます。

 弁護人としても,安易な思い込みをせずに,常に依頼者の声を虚心坦懐に聞き,それが正しく裁判所に伝わる工夫をしなければならないと思います。
 なお,密輸事件の経験則については,抑制的にすべきではないかという視点でも論じられている裁判官の論考もあり(長瀬敬和=太田寅彦「覚せい剤密輸事件における故意の認定について」判タ1422号・2016),今後も,事情を知らずに密輸事件に巻き込まれた者が有罪とされることのないような裁判が目指される必要があると思います。
 本稿及び季刊刑事弁護の本特集が密輸事件を担当する弁護人の助けになれば幸いです。

                                            2016年8月