「個人の破産」 高崎経済大学にて講義編
災害は忘れたころにやってくる,ではありませんが,しばらくぶりに知人や先輩から連絡があると,あまりいいことでないことも多いものです。
しばらくぶりに東京高裁のN裁判官から連絡があり,10月1日,高崎経済大学で「個人の破産」をテーマに講義して欲しいと頼まれ,引き受けることになりました。
高崎経済大学の講座は,多方面の専門家が「再生」をテーマに1講義ずつリレーで授業を行うのですが,「個人の破産」というと,ある意味ではもっとも「再生」にふさわしいテーマです。
「破産」と聞くと,多額の借金で極めて悲惨な状況である状況を想像したり,また,高価な買い物やギャンブルが原因で,無責任に借金を重ねた人達を想像します。「借りたものは返せ」という素朴な感覚は誰にもあります。多くの学生もそう感じていたようです。
しかし,親族に頼まれ,仕方なく連帯保証人になった人や,病気,怪我そして会社の倒産などの自分の努力で回避が難しい出来事によって借金をすることになった人もいます。
立場や視点を変えることで,「破産」へのイメージは変わります。
負債を負わせたままでは,利息・損害金が支払えず負債額が増え,いずれ破綻してしまうので,結果的に,債権者の損失は拡大することになります。借りている本人が,夜逃げや自殺などをしてしまうこともありますし,借金が原因で犯罪を犯す人もいるのが現実です。
多額の借金を負担させたままでは,社会の損失にもなる可能性があります。
実際には,やみ金が債務者を脅して違法な手段で回収を行い,他方で,通常の法的手続きに従う債権者は回収が出来ない状況になれば,債権者間の不平等も生じます。
「破産」というシステムは,ある意味,①不健全な経済活動を停止し,健全な形での再出発をうながし,②破綻による損害を公平に分担させるものといえます。破産を含め,「倒産処理制度が,経済社会の健全性を維持する上でなくてはならないもの」(「破産法・民事再生法」有斐閣,1頁,伊藤眞)と言われるのも十分理由のあることなのです。
この日の講義では,破産に関する「法律の知識」も話しましたが,実際は,「破産」について多角的な視点で,自分なりに考えて欲しいということが主題でした。
後日,講義を受講した学生からレポートが届きました。
実際に「破産」について考え方が変わったという感想もあれば,社会に出る前に聞いておいて良かったという感想もありました。また,報道等で聞くことが「事実」とは限らないので,自分なりに事実を見つけたいというような感想もありました。
学生に何かのヒントになったのであれば,高崎までの長い道のりも無駄ではなかったかなと感じています。
報告者 菅 野