覚醒剤密輸事案と精神鑑定等(その2)
令和5年1月
弁護士 菅 野 亮
1 覚醒剤密輸事件の故意の内容
覚醒剤密輸罪が成立するためには、一般の犯罪と同様、故意が必要ですが、故意の内容については最高裁の判断があります(最高裁平成2年2月9日判タ722号234頁)。
「覚せい剤を含む身体に有害で違法な薬物類であるとの認識があったというのであるから、覚せい剤かもしれないし、その他の身体に有害で違法な薬物かもしれないとの認識はあったことに帰することになる。そうすると、覚せい剤輸入罪、同所持罪の故意に欠けるところはない。」
つまり、この最高裁の判断を前提にする限り、覚醒剤に関する確定的な認識がない場合でも、覚醒剤を含む違法な薬物かもしれないとの認識があると認められる場合には、故意があったと判断されます。
2 東京高裁平成28年1月13日判決
東京高裁平成28年1月13日判決(以下「東京高裁平成28年判決」といいます。)は、一審の有罪判決を破棄自判し、故意が認定できないとして無罪としました。
東京高裁平成28年判決の事案で、被告人は、次のような約束に基づき、400万ドルの報酬目当てで日本に来たと主張していました(実際には、セパレーション・オイルではなく、覚醒剤が隠匿されていました。)。
「被告人が本件渡航に及んだ経緯は,Aから現金に付いたマークを洗浄するためのセパレーション・オイルという物の運搬を依頼され,同人の指示する者から託された本件スーツケースを携えて来日し,その際,400万ドルの報酬を受け取る約束になっていた」
検察官は、次のように主張しています。
「被告人は,Aから最初に荷物運搬の依頼を受けた際,その荷物が何であるかを告げられなかったところ,それが違法な物,具体的には銃や薬物ではないかとの疑いを抱いており,その疑いが払拭されないままの状態で,高額の報酬欲しさに本件犯行に及んだものと認められ,荷物の中身がセパレーション・オイルなる物であるとのAの説明を信じ込んだとする被告人の供述は信用することができないと主張する。」
確かに、Aの説明は、セパレーション・オイルを運ぶと400万ドルもの高額な報酬が得られるという点で、普通の人からすれば疑わしく思う可能性がある話です。極めて高額な報酬、という点をみれば、検察官が指摘するように違法薬物の密輸かもしれないと疑ったはずだ、との主張はそれなりに説得力を持つように思われます。
東京高裁平成28年判決も、「確かに,Aの荒唐無稽な話を信じたということは,成人の通常の判断能力を前提に考えると,奇異なことのようにも見える」と判示しており、セパレーション・オイルを運ぶと400万ドルもの高額な報酬がもらえるなどという話自体が、荒唐無稽な話しであることは前提としています。
そうであれば、そのような荒唐無稽な話しには裏があり、覚醒剤を含む違法薬物の密輸でないかと疑ったはずだ、という多くの裁判例で使われるロジックで、故意の存在が認定され有罪になりそうです。
しかし、東京高裁平成28年判決は、よくある有罪の方程式をそのまま当てはめることなく、故意を否定し無罪としています。
3 医師の証言や他に欺されたエピソードがあったこと
判決では、故意の判断において、次のように判示しています。
「原審証人C医師の供述によれば,被告人は,高齢の上に心臓の病気を抱えていることもあり,認知症その他の病気とする程度ではないにしても,年齢相応に社会的認知の障害が生じていて,人にだまされやすくなっていた可能性があり,通常なら信じられないような話にだまされてしまうことが考えられるというのである。被告人がそのような状態にあったことは,荒唐無稽な話を信用してしまったという事情をよく説明するものということができる。当審における事実取調べの結果によれば,被告人は,本件以前からインターネット詐欺によって多額の財産を失っていたことが認められ,この事実も,年齢を重ねた被告人が通常の成人よりもだまされやすい状況にあったことを示している。」
ポイントは、①医師が、被告人には、社会的認知の障害が生じていて、欺されやすくなっていた可能性があると供述したこと、そして、②実際に、被告人はインターネット詐欺により多額の財産を失っていたエピソードがあることです。
これらは、原審段階でも存在していた証拠ですが、原審はその証拠の価値を軽視して、有罪としたところ、控訴審において、証拠の価値を再評価し、故意が認定できないと判断したものです。
運び役が結果的に欺されていたという話は被告人が法廷で供述することもできますが、医師の証言等で、被告人が密輸組織の人間に欺され、セパレーション・オイルの話を真実だと信じ込んだことを丁寧に立証することが大事だと思われます。
4 おわりに
「覚醒剤密輸事案と精神鑑定等(その1)」では、精神鑑定が行われ、鑑定人が被告人の障害やその特性を証言していますが、本事例においても、医師が被告人の認知の障害等について専門家として意見を述べ、その意見が事実認定に影響した点が参考となります。
密輸事件の運び役をした被告人から話を聞くと、そんな荒唐無稽な話にどうして欺されてしまうのか、と思うこともありますが、その原因には、密輸組織のリアルな話や被告人側にも認知機能等の障害が背景にある場合もあることを念頭におきつつ、実際に欺されて被害が発生していないかといった点もみて、弁護活動を行う必要があります。
「覚醒剤密輸事案と精神鑑定等(その3)」では、密輸事件の故意の認定に関して、精神鑑定の社会的認知能力に関する検査結果が影響したと思われる事案を紹介する予定です。
以上
★千葉市の弁護士事務所『法律事務所シリウス』より★